辛かったことの方が記憶に残りやすいとはよく聞くけど、私は楽しかった事の記憶のが強いかもしれない。
正確には、「辛かったのだろうけど、良い思い出」として記憶に残っている。
辛かった気持ちとかは鮮明に思い出すことができない。
けど、ショックと良い思い出がないまぜになってる記憶とか書いてみようと思う。
7、8歳の頃
両親が離婚するしないの話になった。
多分、大きく喧嘩したんだと思うんだけど、小さくてよく分からないまま家族が離れ離れになっちゃうかもしれない恐怖。
とりあえず頭を冷やすのかなんなのか分からないけど、父も母も両方家から出ていく時に「どっちと一緒に来る?」って聞かれたのが記憶にある。
妹は母を選び、私は選べず。
お家にいる…って言ったけど、まだ小さいからそれも出来ず結局父を選んだかな。
母には妹がいるし、父が一人は寂しい気がして。
父はパチンコに出かけたので、一緒についてったんだけど隣の台で椅子に座ってくるくるして暇を持て余してたら、隣のおいちゃんがジュース奢ってくれたのは良い思い出。
そのあと、父から「これでコーヒー買って置いとけ」って小銭をもらいそのおいちゃんにコーヒーを(他人の金で)奢るというパチニケーションを初めて覚えたんだよね。
ま、パチンコ行かないから最初で最後のパチニケーションだったけど。
10、1歳の頃
母が倒れ入院。
祖母が来る話になったが、他県なので、数日間は誰かが家のことをしなければならない状態に。
父は家のことは全く出来ず、お前がやれと任命された記憶がある。
え?私子供ですけど。父のが大人なのに…
お姉ちゃんでしょ。と言われ、まぁそうかと炊飯器の使い方と洗濯機の使い方を母から聞いて実践。
毎朝みんな分のご飯を作って、自分と妹のお弁当を作って、学校から帰ってきたらお風呂洗って洗濯して夕飯作って。
食べ終わったら食器片付けて、お米といで炊飯器セットして明日のご飯とお弁当何にしようかな…って布団に入る。
お母さんって大変だなぁ…って思ったな。
一番大変だったのが洗濯物。濡れた洗濯物重たいし、洗濯物かけるところが高くて背伸びしながら干してたよ。
あ!でもね、妹がお弁当美味しかったって言ってくれたこととか、お味噌汁の出汁を上手くとれた時は嬉しかったなぁ。
当時は煮干し出しのお味噌汁が好きで、ちゃんと煮干しのはらわた取って出汁から取ってましたよ。
お日様が登ってくる頃で、朝の空気が気持ちよく、みんなまだ寝てる静かな台所で出汁を取るあの時間すごく好きだったなぁ。
15、6歳の頃
またもや母が倒れ入院。
ストレス性の胃炎らしいけど、病室で「悩んでることとか不安なことありますか?」って医者が母に聞いてたんですよね。
その時に「かざひなの高校入試」って言葉があってすごくショックで。
他にも色々話をしてたかと思うんですけど、自分が入院するまでのストレスを与えてしまっていたのかと当時はただただショックでしたね。
今思うとそんなことはないのでしょうけど。
まぁ、テストの点数を聞いてはマウントをとって来ることがいて、煩わしくなって勉強しなくなって順位落としていったのはありますけど。
んー……そうだなぁ……ショック以外なんも感情出てこなかったな。
あったのかもしれないけど、全く記憶に残っていないな。
そしてまたもや家事をどうするかとなったのですが、今回はもう大人なもんだろうということで買い物から何から一任されましたね。
煮魚を作ってくれとの父の希望で初めて煮魚に挑戦。
母が作っていたのを思い出して生姜と長ネギの青い部分入れて臭みを消して酒と醤油とみりん入れて煮たなぁ。
当時はインターネットなんて簡単に繋げない時代でしたから、舌と記憶が頼りなところがありましたよね。
初めてにしては美味しく出来て、しかも父がおかわりをしてくれたという。
あんまり褒めることのない父が褒めてくれたので嬉しかったよ。別に美味しいと言ってくれても良いんだが……
あ!あと、お弁当を作らなくて良いって楽ね!給食最高。
翌朝のおかずと味噌汁を夜に作っておいて、朝を出来るだけ簡単に用意するという技はこの時に覚えたかな。
22、3歳の頃
慣れない職場で自律神経失調を起こしてぶっ倒れる。
いやーびっくりした!
もうねぇ、辛いとかそういうの全く記憶にない!ただ、倒れた事実は記憶にある。
だって急に立てないんだもの。涙勝手にボロボロ出てくるし立てないし、引きずられて病院に連れてかれたよ。
あの時面倒見てくれたスタッフには感謝です。
この頃は事務から接客に仕事内容を変えた時期だったので、本当にしんどかったなぁ。
臨機応変嫌い!ってよく言ってた!
接客なんて絶対向いてないわ…って思ってたけど、まさか今も接客やってるなんて当時の自分が聞いたらまた倒れるんじゃないのかな?
今も接客は向いてないと思っていますけど、毎日が違うから楽しいっちゃ楽しいよね。
25、6の頃
祖母が亡くなる。
うーん…ショックというか…なんというか。
なんとも言えない感情だったんですよね。悲しいとも違うし…とりあえず泣くことはなかった。
一緒に遊んでくれたり、面倒見てくれた祖母。
優しかった祖母。んー…火葬するまでは色々話しかけてくれたから寂しさとかがなかったのかも。
それよりも、母が泣きじゃくってる姿を見ることが辛かったかな。
あと、それ見て「しっかりしなきゃ、泣いちゃいけない」って思ったな。
祖母も母にそんなこと言ってたしな。
そんな祖母の想いを伝えたくて泣きじゃくる母の背中に手を当ててたら、びっくりするほど落ち着いて行ったのは不思議な体験。
「わかったよ…」って母が言ってたのもビビったよね。
あれ、ちゃんと伝わってくれた!?すごくない!?みたいな。
28、9歳の頃
職場でお客様に指を噛まれる。
もうね、軽く事件ですわ。
仕事用の携帯は壊されるは怒鳴り散らされるは挙げ句の果てに指噛みちぎられそうになるわ。
刑事ドラマみたいに「(スタッフの名前)さん!警察に連絡!(スタッフの名前)さん!お客様遠ざけて!」って叫んだよ。
初めてパトカー乗ったよね。超興奮。貴重な体験。願わくばもう乗りたくないと思います。
初めて警察署で事情聴取みたいなのされたよね。
初めて傷部分の写真撮られたよね。
その時の感情何も覚えてないけど、「えー指の写真撮るのかー…指毛の処理甘かったんだよなーちゃんと処理しとけばよかったなぁー」って写真撮られながぼんやり思ったよ。
しかも写真が鮮明で、指毛もうっすら写っててなおさら凹んだよね。
31、2の頃
新人ながら膨大な課題と仕事に追われる。
いやぁ……鬼畜!!
その時のじーちゃん師匠マジで鬼畜!!!!
家でも職場でもPDCAをまわす毎日。ぜってい見返してやる!くそじじい(ギリィ)って思ってました。
淡々と冷静におかしなところと良くないところを指摘される日々はなかなか心臓を抉られましたね。
ほぼほぼ泣きながら仕事してたと思います。
電話口で私が死んでる姿をよく目撃されておりました。
ま、おかげで今があるんですが!
ありがとな!じーちゃん師匠!!
あと、同じ頃に付き合ってた彼とお別れしましたねぇ…
結婚とかは考えてなかったんですよ…付き合えるけど結婚は出来ないみたいな。
でも、たくさん良い思い出作ってくれてありがたかったですね。
私を選んでくれてありがとう、想いに応えられなくてごめんなさい。
酒癖の悪さはどうにかしたほうがいいですよ。
はい、こんな感じでショックと良い思い出がないまぜになった3000文字「記憶」は終了です。
もうなんか闇の自己紹介みたいになってるな。
闇ってほど闇ではないけど。
記憶って曖昧ですよね〜…大体忘れちゃうし。
書いてて思うけど、時間が解決してくれること結構あるよね。
ゆったりのんびり、時間を味方につけてこれからも過ごしていこうかなぁって思います。