みなさま、こんにちは。
管理人の風雛(かざひな)です。
先日からTwitterで「3000文字チャレンジ」というハッシュタグと共にたくさんのブロガーさんが「書くということ」について文字をしたためておりました。
なんと、この企画はもう終了のようで、やっと知ったことなのに寂しい限りです。
知ったからにはやってみたい。
写真も動画も貼らず文章のみで3000文字も書くという、なかなか大変な企画を、みなさん、楽しそうに「書くということ」について書いていらっしゃる。
ということで、チャレンジです。
「書くということ」とざっくりとあると、なかなか難しい……
管理人、小論文とか作文は嫌いなんです。
でも、日記とかブログとかメモとか習字とかそういうのは好き。
ちなみに小説書いたりするのも好きなんです。
うーん……よし、せっかくブログを書いてるんだ。
文章を書くということに絞って書いてみよう。
文章を書くというのにハマったのは、記憶にある中だと小学校の時だった気がします。
その名も「交換日記」
人によっては黒歴史となってしまう世にも恐ろしい「交換日記」
田舎の小さい小学校。
1クラスしかなくて、しかも20人もいないクラス。
全校生徒100人ちょっとしかいなかったと思います。
交換日記ってさ、ざっくり3種類あると思うの。
「親友交換日記」「友達グループ交換日記」「付き合い交換日記」
結構クラス全体が仲良かったので、「私もやっていい?」と誰かがなると「いいよ!」ってなって結果7人ぐらいで交換日記回してたりとか笑
自分の日記を他人に見られるという体験をしたのは多分これが初めて。
他人に見られると思うと、文章を少し盛ってみたりとか、少しでも面白く書きたくて当時流行った言葉を使ってみたりとか。
小学生ながらに色々工夫した気がします。
書きたいことがなくて回ってきた時にはイラストのみになったり。
中学、高校になると、交換日記は「手紙」という形に変わってより交換しやすくなっていきました。B6ぐらいのレター便に可愛いペンとか綺麗なペンで書いたりとかね。
あと、折り方にもこだわってみたりね。3枚ぐらいになると折るの大変で、それでもレター便に書いたりね。
書くことなくて自然と交換なくなったりして。
でも、交換日記や手紙には書くことがなくても、自分だけの日記じゃないけどそういうのには書くことがいっぱいある。
この記事を書いててやっと「あぁ、そうか」と理解したのですが、「人に見られる文章」と「思ったことを自分のために吐き出す文章」って違うんだなぁと。
人に見られる文章ってやっぱり少なからず読まれたくて、少しだけ見栄を張ってみたりするのですが、自分のために吐き出す文章と言ったら……ただの感情ですね。
見返すことは少ないというか、ほぼないですが、見返すともう何を言っているのか分からない。
自分のことなのに、読むと顔がチベットスナギツネになる。
むしろ文章とは呼べない、鉤括弧じゃおさまらない叫び?鳴き声?みたいなこともある。
動物か?ひらがな覚えたてか?みたいな。
あと真っ黒なページがある。
ひたすらボールペンでぐるぐるぐるぐるぐるgr…と書き潰したページ。
でも、なんかは伝わってくるから伝わるからには「書いた」ってことなのかな?
それともこれは「描く」の方なのかな?
そう思うとブログって不思議。
人に見せると自分のために吐き出すとのちょうど中間みたいな文章。
(え、まだ1,231文字ですか頭では分かっていたが本当に難しいな)
最初は稼いでやろうブログでした。
いや、今は稼いでやろうと思ってないみたいに書いたけど、稼ぎは欲しいよ?お金は欲しい。お金は大好き。お金は欲しい。
でも、それが多くなると管理人の場合筆が止まる。
たぶん、認めたくないけど、認めたくないけど、ブログで稼ぐということに向いてない…
ぐ……こうやって文章になるとダメージ入るな。
真下に投げたスーパーボールがでこにぶつかった感じ。
それでも、足掻いてよく分からないSEOとかちょっと調べちゃったりして、やってみるんだけどブログってそんなんだっかなぁ……っていう気持ちがチラつく。
いや、でも読まれたい。
読まれたいけど読ませるほどの文章力がない。けど、書きたい。
そう、書きたい!!
なんて書いていいか分からないけど、書きたい。
良いと思ったものは紹介したい。誰に言うわけでもないけど、勝手に公開したブログを読んでくれて共感してくれた人と「わかるわかる〜」っていう気持ちを共有したい。
あの交換日記の感じの知ってる人だけでふふふって笑えるようなネタって何故かすごく特別な感じがして、楽しいじゃん?あの感覚欲しい。
会話は苦手なんですが、文章を書くとなると会話より思った事を表せてる気がする。
会話得意な人すげぇな。よくあの一瞬で返答できるな。
待って待って、考えさせて。文章で頂戴。って思ってしまう笑。
管理人の場合、口よりも手の方がちゃんと意思疎通できてるんじゃないかな?
……寄生獣かな?取り憑かれてるのかな?私の両手。もしくは右手。
私の脳みそきっと両手にある。
最近はPCで書くことが増えたけど、原点はやっぱり手で書くことなので、咄嗟に思った事を書けるようにノートとペンは手元にあります。
ブログを書いていても、詰まってくるとノートに考えてることを書き出す。
考えずに思ったままに書いてると、不思議と絡まった紐が解かれていく。
解かれた後、ブログ作業に戻ると「コレジャナァァァイ!!」となって、全部書き直したこともあります。
書くことの生活が長いので、ペンとノートにもこだわり出して、メモ帳用のノートに1000円近く出したこともあります。
ペンはこだわりが行きすぎて万年筆に手をつけました。
自分に合ったノートとペンは、選手が良いスパイクを履いてるのと同じ感じだと思う。
書くことが気持ちよくてただただ書いていたくなるよ。
ここまで書いていてもまだ2217文字。
一つのお題で3000文字ってなかなか変態だわ……(褒め言葉)
いや、でもこういうお題がなければ、ここまで一つのことに対して深く考えることもなかったかも。
管理人にとって書くということは
自分を表現するための行為。
考えをほどくための行為。
仲間を探すための行為。
その時の状況を閉じ込める行為。
なんだろうな。口語と違って揺るがないよね。書いて文章にするってさ。
その時のその文章って、絶対そう思ってたんだよ。
思ってるだけだと、だんだん歪んでくる気がする。
美化されたり、悪くなってみたり。
新鮮なうちに文章に書き連ねる事で、それはその時の真実みたいなのを真空パックできる気がする。
どんな保存容器よりもその時の気持ちとか高品質の状態で半永久的に閉じ込めておける。
もしかしたら、アンネの日記みたいにずっとずっと残るかもしれない。
あれは、思ってるだけだったら絶対残らないもの。
……いや、実際どうなん?公開する気のない日記を公開されちゃうのって。
ブログだって身内にあんまり見られたくないのに……
いや、見てもらうために書いてるんですが、なんか身内に見られたくないと思うんですがこの気持ちなんでしょう…
お題とずれてしまったか。
なんだかんだ言ってますが、書くことと管理人の人生って切っても切れないものですね。
書いた文章ってもうアルバムだし教科書みたいなもんだよ。
日記があったから今の自分があるし、メモがあるからいろんなアイディアが湧いてくるし。
書いたら、良いも悪いも何かしらの反応がある。
そして、書いたからずっと残る。
刹那的に反応を楽しむのも良いんだけど、見返した時とかにも当時の感覚を少しでも良いから味わいたい。
それを味わいたいから、管理人は書くのです。