「いっき(一機)貸して」
ゲームをする時に必ず誰かが言う言葉だった。
管理人がゲームをしたのは小学校1年生ぐらいだったと思う。
ゲームボーイが最初に触ったゲーム。
小さいくすんだ黄緑みたいな画面になんとも言えない黒のドットでキャラクターが動いていく。
一人用の画面だったから、みんなで頭をくっつけてゲーム画面を覗き込んでた。
「見えない!!」
ゲームが白熱するにつれて自然とみんなが画面に寄るから、プレイヤーはちょいちょい見えないって叫んでた気がする。
上手い奴は特に。
「いっき貸して」
「次死んだらね」
コンプライアンスに引っかかるような言葉を日常的に言っていたあの頃。
ゲームのキャラクターが、敵にやられるのと、死ぬのは、当時の自分達から言えば同じだった。
そして「いっき貸して」はゲームに参加する意思の現れでもあった。
小学校2、3年生の時にゲーム機はファミコンへと進化を遂げた(自分の中で)
ブラウン管のテレビに赤黄色白の3つのジャックを繋いで、あの黒い塊(ACアダプター)をコンセントにさす。
あれって、上のコンセントに差すと下のコンセント使えなくなるよね。
まぁそれはどうでもいいんだけど。
初めて買ったのなんだったかな…スーパーマリオ3?
それまではいとこの兄ちゃんに要らないソフト貰ったりしてやってた気がする。
おぉ、これは二人で出来るぞ!
いっき貸してがないぞ!
と思ったのもつかの間。
そりゃさ、そうよね。
だってみんなでゲームなんてさ、4〜5人集まってたんだよ。
ゲームボーイの時ですら。
足りないよね、コントローラー。
「ねー、いっき貸してー」
ほら来た。
いっき貸して。
やる?って聞いた時はやらずとも、ゲームが進むにつれ、ファインプレイが出るにつれ、うずうずしてくるんだよ。
やってみたい、面白そう、自分にも出来るかもって。
「じゃあ〇〇の次ね!」
いっき貸しては先着順。
その間に残機がなくなれば、1-1からだ。
めちゃくちゃ難しい面かもしれないし、最初の面からかもしれないし。
そのスリルもなかなか面白かった気がする。
でも、最終面になるにつれ、「いっき」は重くなってくる。
クリアが見えるかもしれないと、全員が必ず上手い奴に「いっき」を譲る。
みんな「いっき貸して」だのなんだの、わちゃわちゃ言ってくるけど、ゲームのエンディングを見たいのだ。
大人になるにつれて、ゲームは一人でやる事が多くなったけど、それでも学生の頃は絶対どこかにあった。
「いっき貸して」
管理人の中でゲームと言ったら、みんなでエンディングを見るために協力して頑張った「いっき貸して」だったりする。
「いっき貸して」って良い文化だったと思うの。
ゲームはずっとやっていたいけど、「いっき貸して」は絶対的に譲らなきゃいけない言葉だった。
貸したいっきは増えて戻ってきたり、クリアのヒントが見えるきっかけだったり、奇跡のプレイが見れたりする。
当時は攻略本なんてなかったし、あっても高くて買えなかったから、みんなで風のうわさを持ち寄り、貸してもらったいっきで各々うわさを試す。
「いっき貸して」と言ったからといって、何も必ずいっきを使わなくてもいい。
無理だと思ったら誰かにその「いっき」を譲ってもいいのだ。
別に下手な奴がいたって大丈夫だ。
そしたらすぐ自分にまわってくるから。
でも下手なやつでもたまにファインプレイが出るんだよ。
上手いやつでも進めなかった場面を奇跡的な動きで進んでいくんだよ。
うおぉぉおおおおおおお!!!!!!
……うあぁああああああああ……
今まで自分が浴びた事のない歓声にびっくりして、一瞬操作を間違って死ぬ。
それでも、そいつの奇跡と惜しかったよなーっていうのと、この時に進めばいいんじゃない?とか色んな感想が興奮気味に飛び交う。
またその場面になれば一番下手だったやつに自分の「いっき」を貸す。
そいつが一番クリアできる可能性が高いからだ。
そして、下手だったそいつはそのファインプレーを機に安定してクリアする。
クリアしたら安全な場所で一時停止して、またいっきを返すのだ。
でも貸さない奴もいる。
どうやっても自分でやってみたい奴はそのままやってもいい。
借りたいっきは自分のものだから。
別にそれで失敗しても誰も怒らない。
残念がりはするけど、やっぱり難しいんだなって事を思うし、プレイ中のやつと同じ目線で妄想コントローラーを握ってるから。
そうやって、少ししかない残機をみんなで遊んでいた。
いつからか、大人になってゲームをしなくなって、仕事が忙しくなって「いっき貸して」が無くなった。
仕事もチームで同じところを目指しているはずなのに、何かチグハグで、やり方で揉めて、疲れて帰ってくる。
もちろん、そんな日ばかりではないけれど。
でもさ、思うの。
あの頃みたいに「いっき貸して」の精神で仕事したっていいと思うの。
失敗したっていいと思うの。
そりゃ仕事だからある程度、お金とか信用とか関わってくるけど。
でもさ、いっき貸したらファインプレーが出るかもしれないじゃん。
今よりももっと簡単に進めるヒントが見えるかもしれないじゃん?
上手いやつにだけ任せないで、自分でやってみたっていいじゃん?
いつから自分は「いっき貸して」の精神を忘れてしまったのだろう。
仕事で挑戦する事をしなくなった気がする。
まぁ、実際問題、いっき貸してで仕事したらとんでもない事になってしまうかもしれないけれど。
でも、あの頃のみんなが同じ目標に向かって各々頑張ってて、失敗は失敗で、ファインプレーで沸いて、ステージクリアで興奮する。
そんな事を大人になった今、味わいたいなぁと思う。
従兄弟から聞いたり、友達から聞いた本当かどうか分からない裏ワザをいっき借りて臆せず試したり。
でも今の自分は失敗が怖くて、新しい面に進もうとしてない気がする。
この前ゲームセンターCXでいい大人のおっさんたちがゲームをひたすら頑張ってる姿を見た。
自分にまわってくるわけでは、ないけれど。
でも、なかなかクリア出来ない面を、何度も何度も挑戦する姿は、あの時の幼い頃の自分を思い出す。
みんなで「あーー……」とか「おぉおお!!!!」とか、演者もカメラマンもスタッフも固唾を呑んで見守るのとか。
あぁ、この感じ。
そうそう、この感じやっぱり楽しいよな。
コントローラーはまわって来ないけれども。
どうしてもクリア出来ないところはADさんに助けてもらう。
その間に有野はお菓子を食べながらもゲームの進行を見守る。
1面、2面、3面…と順調にクリアしていくADは、当時のゲーム上手いやつを思い出す。
安定感のあるプレイ。だけど、妄想コントローラーを握ってる有野は「あー!!」とか「ここ難しいよ」とか、いかにもプレイヤーのようなリアクションをする。
そうそう!分かるわー有野〜!
その感じ分かるわ〜!!
あぁ、ファミコンやりたくなってきたな。
それも一人じゃなくて、友達みんなで。
この前、ミニファミコンやったら思いの外上手く動かせなくてショックだったな。
腕は落ちたとしても絶対言ってやるんだ。
「いっき貸して!」