風のたより
好きなことをしながらゆったり過ごしたい
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3000文字チャレンジ

私にとっての酒

お酒を最初に飲んだのは5歳ぐらいだったと思う。父があまりに美味しそうに飲むからどうしても飲んでみたくて。

「ちょっとちょうだい」

そう言うと父は「ちょっとだけだぞ」と言ってコップを差し出してくれた。

顔を近づけるとしゅわしゅわと小さい音を立てながら、もこもこの泡が消えていくのを感じる。

「泡消えちまうべな!早くよ!」

そう急かされて、でも初めて口にするから怖くて少しだけ泡を舐めたのが自分の記憶にある最初のお酒だ。

「……おいしい!」

と父に言うと「将来は呑んべいだな」と笑って泡の少なくなったお酒を美味しそうに飲んだ。

嘘だった。本当は美味しくなかった。ビリビリして、ずっと舌の奥が苦い。

何が美味しいのか全く分からなかった。それでも、美味しいって言えば大人の仲間入りになったようで少し誇らしかった。

ある日父はちびちびと何かを飲んでいた。

コップも小さくて指でつまんでるような持ち方。いつもなら絶対一口で飲む量なはずなのに、ちびっちびっと飲んでいる。

刺身を口にするたびにちびっと、そしてまた刺身を口にしてちびっと。時折熱そうにしている。

ビールとは全然違う飲み方だった。

「ちょっとちょうだい」

ビールの時みたいに隣に座ってねだってみる。

「だめだ!おめぇにはまだ早い!」

そう言ってちびっと口にするとまた小さいコップに液体を注ぎ足した。

「なんでぇ!?いいじゃん!ちょっただけー!」

だめだと言われると気になって仕方がない。あまりに騒ぐので観念した父が小さいコップを差し出す。

匂いを嗅いでみる。

つんと不思議な香りがしたけど嫌いじゃない。

「まーた!!まだ酒飲ませないでって言ったでしょ!!」

急に大きい声がして少し透明な液体が揺れる。

「わんつかだべな!匂い嗅がせてるだけだべよ」

父の応戦に少しホッとしながらまた舌を伸ばす。

「あまい!おいしい!!」

少しぬるくなった透明な液体はすごく甘くてとてもおいしかった。不思議な香り(後にアルコールの香りと知る)は舌に優しくてもっと飲みたいと思った。

「ぇが匂い嗅ぐだけって言ったべな!!」

少し怒られたけど、その美味しさが衝撃的で怒られても全然響いてこない。

これが私の日本酒好きの始まりだ。

あとさ、お父さん…匂い嗅ぐだけって絶対言ってなかったと思うんだけど(38歳の主張)

それから私は日本酒を飲んでる時にちょっとちょうだいと父に近寄るようになった。流石に日本酒はアルコールが強いので「匂い嗅ぐだけな」と釘を刺されるから肺いっぱいに日本酒を味わう。そうして少しだけ父のつまみを盗み食いする。当然怒られるけどお父さんだけずるいよね。こっちはご飯出来るの頑張って待ってるのにさ。

ある日、父の友人家族と居酒屋でご飯を食べることになった。

日本食がメインで、魚が大好きだった私はすごくテンションが上がっていろんなものをたくさん食べた。

大人たちが盛り上がってる頃、暇すぎてお座敷の隣に積んである座布団を並べて遊んでいたらふわっといい香りがしてきた。

「なんかいいにおいがする…」

そう言って大人たちに割って入ってテーブルを見るとアサリの酒蒸しが置いてあった。

「たべていい?」

母に聞くと一瞬悩んだような顔をして「いいよ、食べすぎないでね」と言って小皿に取り分けてくれた。

まずはアサリの貝に乗っているスープを一口。

「おいしい!!!!」

アサリの旨み、バターのコク、あとはこれは紛れもなく日本酒の味!

無我夢中でスープをすすった。少ししかないのが悔やまれる。大人達もみんな美味い美味いと取り合ってあっという間にお皿が空になった。

その時の記憶は鮮明に思い出せる。

ふわふわしてぐるぐるしてうまく立てなくて頭が重くて…

気がつくと布団に入っていた。

知らない匂い、知らないお部屋、ここはどこだろう。

「あら、起きた?」

どうやら父の友人宅の様子。隣で父と母が眠っている。

キーンという音、頭が割れるように痛くて立ちあがろうとすると全てが口から出てしまうような気持ち悪さ。

「きもちわるい…」

やっと口に出したら余計に気持ち悪くなり立ち上がることもなく床に突っ伏してしまう。

「二日酔いかしら…昨日の酒蒸し結構お酒の味したもんねぇ…」

心配そうな声が遠くから聞こえる。

出来れば今すぐそよ風の吹く柔らかい芝生の上に寝転がって青空を見上げていたい。風は少し冷たいやつがいい。体の中を一旦全部取り替えたい。

「ゼリー食べる?水か何か飲む?昨日いっぱいげーげーしたからお腹に何か入れないと…」

どうやら私は幼いながらに立派に酒に良い、全てを吐き出すという大人顔負けの良いっぷりを披露してしまったらしい。

冷たいフルーツゼリーが乾き切った口を通り食道と胃に染みていく。

ただ、いつもみたいには食べられないけど。それこそ日本酒を飲むようにちびちびと。

そんな幼少期を経て20歳。

自由に酒が飲める歳になったと飲み会で色んなお酒と出会う。中でもカクテルは綺麗で自分で作ろうかとレシピと情報だけは集めていた。あの小さいグラスにたくさんの技術で注がれた色と味は気になり、飲み会に行ってはカクテルを頼んだ。けれども、やっぱり美味いと唸るのは日本酒だった。個人的に日本酒は冷やか熱燗で頂くのが好きだ。

冷やは日本酒が無理していない味がする。なんというか、家でくつろいでる時みたいな。だから最初日本酒は冷やで飲むことが多い。日本酒そのものの味がする気がする。熱燗は香りが強くて味が濃いめのものと合うから好きだ。モツ煮の汁とか塩とか。魚の煮汁も捨てがたい。そして熱燗の方がたくさん飲める気がする。あとは辛口の方が好きだ。

冷酒も嫌いではないが、元々そんな冷たいのが得意ではないというのと日本酒の味が感じにくいというのがあってあまり頼まなかった。

そんな飲み方をしていた私だけど、初めて冷酒であの小さい頃に父にもらった酒と同じ衝撃を受けたものがあった。

「上善如水」だった。本当に水みたいにがぶがぶ飲んでしまいそうだった。キンキンに冷やした上善は飲み会で熱った身体を上品に冷ましてくれる。

冷たいうちに飲まないともったいないと思いつつも、何度も頼めるものでもなかったのでちびりちびりと頂いた。このすっきりとした飲み口は今でも無性に味わいたくなる。

新社会人1年目の健康診断で肝臓が引っかかり、親に激怒されたぐらいには酒を飲み歩いていた。まぁそうだ。最大熱燗6合あけてたぐらいなんだもの。思い返すとなかなか若い飲み方してんなぁと思う。そういえば当時の上司が「一回吐くぐらい泥酔しろ。そうしないと自分の限界が分からない」って言ってたな。吐くぐらい泥酔することを何度か経験すると、「あ、これはダメな酔い方だ」っていう兆候が分かるかも。

ただ、この方法はおすすめはできないよね。急アルになる可能性あるし。

それから10年以上経ち、今ではすっかり年に1、2回嗜む程度になっている。

お酒は好きだ。

ただこの自分にとっての長い年月で、自分がお酒に弱いことを知り、お酒との距離がちょうどよくなってしまっただけなのだ。

私とお酒の距離は思ったよりも遠くてなかなかお酒を口にする機会がなくなってしまった。

寂しいことでもあるけれど、これが私とお酒の関係なのだなぁと思う。嫌いになったのではない。お酒は好きだが、得意ではない一面も出てきた。

それでもあの感動は忘れずにずっと舌に記憶している。

美味しいお酒を口にする時、あの時の記憶が甦るのだ。